空気を読むということについて考えてみた
もともと空気を読むということ自体が察するとか言外のものを読み取ることを言うとは思うのですが、たとえば武術であると師匠の意を察するということを生活や武術を通して知ることで物の真意を悟ったり考える力を養成することにより読む力を得たりします。これは言外のコミュニケーション能力を獲得することでとても便利なのですが、少ない情報と自ら何も発することなく意思決定をしてしまうというリスクも背負うことになります。達人ともなれば腕も違うしそもそも人生の経験値も違いますのでそのリスクも低くなりますが、そうでない人が言外のコミュニケーションと相手の行動を勝手に期待して空気を読んでしまうことは、双方プラスの方向で間違えてしまう分にはいいのですけどマイナス方向に働いたときにあまりよくない方向へ走って行ってしまうのではないかと思うのです、こういう風に考えたときに言語によるコミュニケーションは(こちらにもリスクはありますが)便利で積極的に使うべき代物なのだなと思いました。(自戒の念を込めて)
追記
何かで似たような感じの話が出てきた気がしてたんですがひょっとすると「7つの習慣」だったかも。あとで確認します。
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